足谷川沿いの登山道を登っていくと、右手側に長い石垣のうち、手前側の低い石垣の上に、住友私立の小足谷小学校がありました。
別子銅山では、職員の子弟教育にも力が注がれ、明治6年(1873)に目出度町に開校されました。その後、別子山村に寄付された小学校が、明治22年(1889)に新築、移転された先が小足谷でした。
明治32年(1899)当時の教員数が7人。生徒数が男女合わせて298人でした。また、元新居浜市長の荒井源太郎氏、泉敬太郎氏なども小足谷小学校で学ばれています。
大正3年(1914)の失火により、本校を含め、周辺の建物も焼失し、生徒は東平小学校や弟地小学校へと移り、その後大正5年(1916)の旧別子撤退によって廃校となりました。
また、明治33年(1900)には小学校横に気象観測所も設置されました。
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