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国指定重要文化財 「旧広瀬家住宅」(平成15年5月30日指定)

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ページID:0005297 更新日:2018年2月14日更新 印刷用ページを表示する
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庭園から、旧邸を望む

庭園から、旧邸を望む(右:母屋、左:新座敷)

 

玄関から台所方面を見る

 

 

 

 

 

 

 

 

 

玄関から台所方面を見る

 

新座敷内部

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新座敷内部


写真 小野吉彦氏撮影

旧広瀬邸・広瀬公園沿革

旧広瀬邸の母屋は、明治10年(1877年)に現在の場所から北約4キロメートル離れた旧金子村の久保田で竣工され、同18年からの広瀬邸移転に伴い、乾蔵(いぬいぐら)・米蔵(こめぐら)などと共に現在地に移築されました。

明治22年には付属の新座敷と庭園が大阪の棟梁 八木甚兵衛と、植木屋 清兵衛(せいべえ)の手によって竣工されました。その後、大正・昭和初期にかけて、南庭や中之町池(亀池)周辺の整備が行われ、今日(こんにち)みる姿となりました。

広瀬公園は、別子銅山の近代化によりわが国の近代産業を育成し、住友グループの基礎を確立した広瀬宰平の旧邸・庭園を公園としたものです。

昭和43年(1968年)広瀬公園は愛媛県の指定名勝(※)となり、平成9年(1997年)にオープンした広瀬歴史記念館とともに、現在は市民の憩いの場となっています。
(※平成30年国の名勝指定に伴い愛媛県指定は解除。)

また、平成15年5月30日、「別子銅山を支えた実業家の先駆的な近代和風住宅」として、国の重要文化財「旧広瀬家住宅」に指定されました指定にあたっての主な評価点は、次のようなものです。


  1. 敷地内の建築がほぼすべて残り、改造もほとんどなく、明治中期の大規模和風住宅の姿を今日(こんにち)に伝える遺構として貴重である。
  2. 母屋及び新座敷は、いずれも数寄屋風の意匠を凝らした上質なつくりで、迎賓館としての役割を兼ね備えた構成も特徴的であり、高い価値がある。

母屋二階の望煙楼と名付けられた部屋からは新居浜市を一望することができます  
母屋二階の望煙楼と名付けられた部屋からは新居浜市を一望することができます。