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『むかしばなし』データベースから【お物語り阿弥陀如来様の由来】を表示 登録件数30中1件
お物語り阿弥陀如来様の由来上部のおはなし(挿絵はありません)

昔、泉川に治平というお百姓さんが住んでおった。
 とても信心深く毎年、京都の西本頼寺へお参りに行くことを、欠かしたことはなかった。
 今年も治平さんは、家のものや村の人々に送られて、京都のお寺へお参りに旅立ちました。治平さんは、遠い道を何日も旅を続けながら、ぶじに京都に着き、ねんごろに、ご先祖のご供養をすませた。
 治平さんは、満足げに、「おかげさまで、今年もぶじにお参りさせていただいた。ありがたいことじゃ、なむあみだぶつ、なむあみだぶつ。」と、唱えながら掃途についた。 
 帰り道は、阿波の国に渡り、伊予のふるさとへと、足を早めていた。ふと見ると、森の木陰に、お庵らしいものが目にとまり、小川がさらさらと、流れていた。
 治平さんは、「どうれここらで、ひとやすみするとしようかい。」と、つぶやきながら小川で手拭をすすいで汗をふき、お庵におまつりしてある仏様に手を合わせて、「ひとやすみしたいので、軒縁をお貸しつかあさい。」と、お願いをして腰をおろした。森の木陰をぬってくるそよ風が、治平さんの頬をここちよくなでながら流れていった。
 よほど疲れていたのか治平さんはつい、うとうととうたたねをしてしまった。つかのまのうたたねであったが、夢の中で、「これっ、治平・治平。」と、誰かが呼ぶ声がした。
 治平さんは夢うつつの中で仰ぎ見ると、枕もとに阿弥陀如来様がお出ましになっていて、治平さんに何か語りかけておられるようである。
 「わたしを伊予の国へつれて行ってくれ。」と、再さん治平さんに、お告げのことばを投げかげられるのであった。治平さんは鷲いて目をさまし、「不思議なこともあるもんだ。」と思い、庵のあたりを見廻したが何のかわりもない。ふと庵の床下をのぞくと、阿弥陀如来様が見つかった。
 治平さんは、「ああ、ああ、もったいないこっちや。この阿弥陀様が私にお告げくださったのか、ありがたや、ありがたや。さあいっしょに伊予の国へ帰りましょうぞ。」と、たいせつにお守りしながら、旅を続けるのであった。
 不思議なことに阿弥陀様と、ごいっしょ以後の旅は、通り過ぎる村々では治平さんを見かけると、たいへんなおもてなしをしていただき、はたごなども、「どうぞ、うちんくへとまって行ってつかあさい。」と、はたごのほうから申し出るほどで、治平さんは驚くやら不思議に思うやらで、「これは、きっと阿弥陀如来様のおみちびきにちがいない。ありがたいこっちや。もったいない、もったいない。」と、手を合わせおがみながら、泉川の村に帰ってきた。
 さっそく治平さんは、家の者や村の人々に、一部始終をお話して聞かせた。
 このお話は遠い昔の話であるが、その後長い年月の間、治平さんの子孫の方々に、ありがたい「お物語りの阿弥陀如来様」として、語り継がれ、信仰されてきた。
 このたび、この「如来様」を、治平さんの子孫の方から「寿仏殿」にご奉納されることになった。町の仏教団の方々もいろいろと心配をして、「如来様」を、ここへお迎えしてよいものだろうか、と思案のすえ、大阪から来ていた「祈祷僧」に拝んでもらうことにした。
 祈祷僧は一心不乱にお経を唱え、じゅずをつまぐりながら、からだ中の力をふりしぼって拝むうちに、阿弥陀様のお告げを伝えた。
 阿弥陀様は、寿仏殿の方角に指をさされるので、「寿仏殿」ですか、とお伺いを立てると、膝を何べんも打ちたたいて、「そこに、つれて行け。そこに、つれて行け。」と、お告げがあった。
 仏教団の方々も、安心をして「阿弥陀如来様」を寿仏殿にお迎えして、仏教団の御宝物としてお祀りすることになった。この「お物語り阿弥陀如来様」は今も寿仏殿に、金色まばゆい仏壇に、お祀りされており、篤く信仰されている。
 (泉川御膳米講代表 古川安太 高津菊男 談)
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