篠場町深谷から大永山へ登る古い道がある。 その急峻な山道を登り詰めた尾根が、六地蔵である。 ここには名の通り、右室の中に六地蔵が祀られ、昔から山の人たちやここを通行する人々の信仰の場であった。昔、ここには地蔵堂があり、庵主さんも住んでいた。 ある夜、いつものように仏前にお経をあげていたが、ふと物の怪を感じたので戸を開けてみると、きれいな娘が立っていてゲラゲラと笑いだした。 「ハハー、これが人をたぶらかすという山女郎だな」と、庵主さんは気づき、「早々に立去れ!」といったが、その娘はいぜんとしてゲラゲラと笑うばかりであった。 仕方なく庵主さんは、また仏前に戻って読経を続けていたが、更に立ち去る気配がない。 そこで庵主さんは読経してたお経をつかみ、立ち上り、戸を開け、「立ちさらんか!」といって、手にしたお経で山女郎を打ちすえようとした。 その瞬間、山女郎にバッと体をかわされ、力あまった庵主さんは庭先に転落し大怪我をして、それがもとで死んでしまった。 こんなことがあって、その後地蔵堂を竹屋敷の方へ移したという。 (本郷(元須領住) 伊藤静馬 談 中萩 松本俊清 記) |