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『むかしばなし』データベースから【竜の谷の雨乞い】を表示 登録件数30中1件
竜の谷の雨乞い上部のおはなし(イラスト:藤田美保)

挿絵
大生院戸屋ノ鼻の奥に、竜の谷といわれる谷があります。この谷の近くには、半田山の古墳や、土器、布目瓦などが発見されています。
 ある年、日照りが続き、水が涸れ果てたため、村の人力は万策つき、お寺に集まりました。和尚さんは村人の願いを聞かれて、谷川に登られ、7日の「行」をされました。
 満願の日、午後になって、にわかに空が曇りました。和尚さんは、わらでつくったタツを大空に向かって投げ上げますと、そのまま勢よく飛び去ったといわれています。
 それから、大雨が降り続き、村人は飢えから救われました。お和尚さんの「行」された谷を「タツの谷」といい伝えられ、谷の水も絶えなく流れています。
 栄任和尚さんは、天明7年(1787)、仁和寺から正法寺にこられました。栄任和尚さんは、仁和寺で入道され、深仁親王様のお師匠様で学間・知識のすぐれた方でした。それで、朝廷より昇殿(宮中に上がること)、お紋幕をゆるされたお方でした。正法寺にこられてからのち、大僧都孝賢師をお使いとして、御免状4通、金5両をおくられましたが、栄任さんは、これをうけられず、人々はその徳をたたえて「徳僧さん」と呼びあがめました。
 栄任さんは「栄澄」の号をおくられ、亡くなる前に「私のお墓は丸くつくらず、角にしなさい。この世にとどまり、苦しい人々を救いたい。」といわれました。今もまっ角な石塔に屋根をつくり、参詣の人が多いといわれています。
 徳僧さんは、隠居されて岸影の小庵に住まれ、子供たちに学問を教えられました。現在の徳見堂で、明治5年(1872)大生院小学校が徳見堂の横に建てられました。これも、深いえにしであると思います。
 (大生院 久枝一郎 談)
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