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(質問)
○ それでは、次の質問に移らさせていただきます。
産業遺産、歴史遺産についてお伺いします。
先日、別子銅山文化遺産課が企画された別子銅山産業遺産ウオーキングに参加させていただきました。その概要は、山根グラウンドからマイントピア別子までを往復する10キロのコースを散策するものでしたが、その中で煙突山、生子橋、牛車道、仲持街道、マイントピア別子端出場地区について解説していただきながら、帰りはふだん歩くことのできない下部鉄道の線路跡を歩くことができました。ふだん遠くから見るだけであった生子山、通称煙突山に登り、山根製錬所の煙突を間近に見ました。この煙突の竣工は、明治21年、西暦1888年で、当時山根製錬所は、鉱石から使えるものは全て製錬しようという画期的なコンセプトの下に設計されておりました。しかし、回収し切れなかった亜硫酸ガスによる煙害によって、周辺の農作物被害が出始めたことに加え、硫酸の需要が思ったほど振るわず、明治28年、山根製錬所は閉鎖となったとありました。
このように、山根製錬所の稼働は、短期間であったようですが、住友が製鉄、化学工業へ進出する契機となりました。
また、この生子山には、生子山城というお城があったようです。後にも述べますが、天正の陣と呼ばれる戦国時代の戦いがありました当時は、新居浜の地に4つの城があったようであり、この生子山の地でも数々の歴史が刻まれたと推察されます。
今回のウオーキングでは、事前に別子銅山と天正の陣について予習を行っていたため、非常に得るものが多い中身の濃いものとなりました。山根から端出場までの間だけでございましたが、多くの産業遺産、歴史遺産を学ぶことができました。
その近代産業遺産としての別子銅山でございますが、今回のウオーキングでその歴史についてまだまだ知らないことが多くあると感じました。私と同じように、その奥深い歴史について知らない人も多くいるのではないかと考えます。
5月30日付の愛媛新聞には、一般財団法人遺産国民会議のメンバーが、25、26日の両日、新居浜市の別子産業遺産を視察した。新居浜南高校ユネスコ部の生徒らがガイドとして同行した。国民会議は、産業遺産継承などに取り組んでおり、昨年5月、銅山について研究、発信する同校と包括連携協定を締結、ユネスコ部の成果を国民会議運営の産業遺産情報センターで展示することが計画されているとありました。ユネスコ部の皆様の活動が、このように宣揚されたことをうれしく思いますとともに、皆様と同じように、座学と併せて現地の史跡も訪れてみたいものだと思います。
そこで、別子銅山の史跡について考えますと、事業の始まりの地である旧別子エリアには、まだ見たことのない史跡が多く残っているようであり、この山深い旧別子の地には、多いときには1万人を超える人が住んでいたようでございます。
話は替わりますが、近年ではグランピングと呼ばれる新たなキャンプスタイルが注目されているようです。グランピングとは、魅力的を意味するグラマラスとキャンピングを組み合わせた言葉で、自分でテントやキャンプ道具などを用意しなくても、気軽にキャンプ体験を楽しむことができ、所によってホテル並みの快適なサービスも受けられる新しいキャンプスタイルだそうです。ゆらぎの森には、そのグランピングを利用できる設備もあるようですので、本格的なキャンプはちょっと気が引けるという方にも、そのグランピングや宿泊施設を御利用いただき、別子山の大自然を堪能していただくとともに、旧別子・別子山エリアでの史跡を巡る登山、散策を楽しんでいただいてはと考えます。
そこで、ガイド誌などには既に紹介されている登山ルート、プランもあるかと思いますが、我々中高年向けに宿泊施設を利用したそれに乗っかるだけでよい安心なプランなども紹介していただけるとありがたいと考えます。
話を戻しますが、銅山事業の規模の概要につきましては、マイントピアのある端出場の第四通洞から筏津までの約10キロメートルは、実は地中の通洞ではつながっているとか、坑道の高低差では直下ではありませんが、鉱石が露出していた露頭の海抜1,300メートルの高さから、下に向かっては海面からさらに1,000メートルの深さにも掘られているとあり、想像以上の規模であることが分かりました。
このように、別子銅山の事業、歴史を学んでいきますと、先人の方々の大変な御苦労をさらにうかがい知ることができます。そのような歴史を知ってから見る四国山脈は、さらに懐が深い雄大なものに感じられます。
また、この新居浜の地での重要な歴史の一つに、先ほども述べました天正の陣がございます。天正の陣は、1585年、天正13年に羽柴秀吉の命を受けた毛利氏の小早川隆景率いる軍勢に新居浜の地が攻められ、それに対し金子備後守元宅が大将となり戦ったものですが、勢力差はいかんともし難く、戦いには敗れ、新居浜全体が戦いの場となり、神社や寺の多くも焼けてしまったそうです。また、川東の宇高には、三義民の碑があります。小学校の授業で見に行った覚えがありますが、この三義民と呼ばれる村上平兵衛、高橋孫兵衛、高橋弥市左衛門は、江戸時代にこの3人が中心となって西条藩に年貢を少なくするように訴えを起こしました。それにより、年貢を上げることは取りやめになりましたが、一揆を起こした3人は捕らえられ処刑されました。その後、西条藩の農民は、命をかけて一揆の中心となった3人に感謝し、お三人様と言って神社にお祭りいたしました。
以上、新居浜市の産業遺産、歴史遺産について触れさせていただきましたが、この産業遺産や歴史遺産など先人が苦労して築き上げてきた大切な遺産につきまして、引き続き市民の皆様にも宣揚していっていただきたいと考えます。既に様々な手法で市の歴史を紹介する取組はなされているかと思いますが、私が個人的には旧別子の産業遺産や天正の陣について詳しく知りたいと考えましたのと同じように、市民の方ももっと市の歴史について詳しく知りたいと考えられる方はたくさんおられると思います。
そこで、市の歴史を学ぶ場づくりとしまして、生涯学習センターや別子銅山記念図書館ではどのような取組がなされているのか、お伺いいたします。
(教育長答弁)
○教育長(高橋良光)(登壇) 産業遺産、歴史遺産についてお答えいたします。
市の歴史を学ぶ場づくりとしての生涯学習センター及び別子銅山記念図書館における取組についてでございます。
まず、生涯学習センターで開設しております生涯学習大学におきましては、学習の柱の一つとしてふるさと学を掲げ、市の歴史に関する講座に継続的に取り組んでおります。
今年度の事業といたしましては、別子銅山について基礎的な知識を習得するはじめての別子銅山、より専門性の高い別子銅山の歴史をたどるを開設しており、様々な視点から幅広く取り組んでおります。
このほか新居浜市内の文化財や史跡に関する講座、新居郡の歴史~新居浜を中心として~、また本市出身の十河信二翁の事跡を学ぶ十河信二の人生~新幹線の父の事跡を辿る~を開設しており、これらのふるさと学講座は、市民が市の歴史に学び、郷土愛を醸成する有意義な事業であると考えております。
次に、別子銅山記念図書館におきましては、郷土資料室を設置し、本市の歴史を中心とした資料を収集、保存し、閲覧できるようにしており、地域の歴史を知り、未来に伝承できる情報を結集した場所となっております。特に、本市発展の礎である別子銅山に関する資料につきましては、別子銅山コーナーを設け、貸出しをしております。また、平成23年度から別子銅山に関する本の解説講座を開催しており、市民の皆様が別子銅山の歴史や産業遺産について学びを深める場となっております。
今後におきましても、生涯学習センターや別子銅山記念図書館が、市の歴史を学ぶ場として多くの方に御利用いただけるよう取り組んでまいります。
(再質問)
○9番(黒田真徳)(登壇) ありがとうございます。既に様々な取組を行っていただいておりますが、まだまだ新居浜市の産業遺産、文化遺産、歴史遺産の魅力につきまして、私を含め、知らないまま過ごしている方も多くおられると考えます。引き続きの魅力的な新居浜市の歴史を学べる場づくりとその取組に対しての周知をよろしくお願いいたします。