このダイアモンド水の対岸から足谷川上流の黒橋あたりまで続く石積が、高橋製錬所があった場所です。
明治12年(1879)にラロックの設計図を基本に着工し、明治13年(1880)に2座の別子銅山初の洋式溶鉱炉が完成しました。
溶鉱炉のほか、沈殿地、収銅所、倉庫などが立ち並んでいましたが、明治32年(1899)の別子大水害で甚大な被害を受け、その後再建されることなく、旧別子時代は終焉をむかえました。現在は石積のほか、カラミ跡などが見られます。
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