旧別子の集落のうち、唯一「まち」が冠されている場所で、銅山の中心地として栄えていたところです。明治時代当初は、重任局や勘場、住友新座敷(接待館)など銅山の中枢があり、ほかに小学校、郵便局、病院などが建設され、明治25年(1892)には、消失した重任局の跡地に大山積神社が縁起の端から遷座されました。
このような施設以外にも、商店街が形成されており、大商店「伊予屋」、まんじゅう屋「えびす屋」、料亭「一心楼」、小料理屋「養老亭」、雑貨・小料理屋「あんけら屋」のほか、旅館・食堂・商店などが建ち並んでいました。
鉱山街を形成していた目出度町も、大正5年(1916)の旧別子撤退の際、すべての施設が撤去され、現在大山積神社跡の石段や狛犬のひとつが、緑陰の中に静かに残されています。
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