蘭塔場とは墓地を意味しています。この蘭塔場は、元禄7年(1694)、焼鉱窯の飛び火がもとで別子全山を焼く別子大火災が発生し、杉本助七支配人ら132人が殉職しました。
この犠牲者の霊をまつるために、火元に近い旧別子一帯が望める小高い岩山の上にコの字型の石積をした墓所を築きました。
大正5年(1916)の旧別子撤退の際に、墓碑は瑞応寺境内に移されましたが、毎年、盆頃には蘭塔場跡でも供養が続けられています。
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