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口屋の由来


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印刷用ページを表示する 更新日:2014年12月1日更新
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  豊かな漁業の浦であった新居浜は、元禄4年(1691)別子銅山の開坑を契機に漁村から工業の町へと発展した。そして、生産量日本一を誇る別子銅山の粗銅(あらがね)を大阪へ送ったり、一万有余の銅山で働く人やその家族の食料や資材を搬入するために、元禄15年(1702)、銅山越を経て立川路が開かれ、「仲持っつあん」と呼ばれた人達や牛車によって、旧別子⇔立川中宿⇔角野⇔泉川⇔金子⇔登道⇔口屋(浜宿)へと運ばれるようになった。爾来、口屋(浜宿)は、大阪へ往復する船と仲持や牛車の発着事務を扱い、明治22年(1889)に惣開に移転されるまでの188年間、別子銅山の重要拠点ととして大きな役割を果たした。  その後、小学校、町役場、市役所、市立図書館へと変遷し、昭和45年(1970)、口屋跡を記念して市立の公民館が建てられ、三百有余年の樹齢を保つ老松(くちやあかがねの松)と共に、新居浜市の政治・経済・文化の礎が今も生き続けている。

※口屋(浜宿)とは・・・別子銅山で使用する物資や食料などをチェックする事務所としてつくられた。

口屋銅(あかがね)の松

口屋銅の松の写真です

雪の中の口屋銅の松

雪の中の口屋銅の松の写真です