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付録・昭和初期のタウン・ウォッチング

町内ブラ突き記

昭和六年五月
 五月の風、緑野をなづる一日、飄然、袴もつけぬ身軽さにて町内をブラ突いて見る。

 寓居を出ると登道の交差点。自動車待合所には、将棋党が四五人、盤面に首突っ込んでいる。のどかなる風景なんめれ。

 南進すれば、新県道と、登道との十字路。でなしに星状路。

 茲に立てば、グレート新居浜の心臓の音をきく心地。

 六間幅と四間幅が四方に延びている広闊さ。黒住教会所も、明比の店も取り払われ全くすがすがしい。このあたりは
将来の新居浜銀座か。東京の尾張銀座町。

 登り道以東の新居浜垣生線も全く竣功、レールも除けられている。

 鶴目よりの新設道路も半ば出来てこの道に結びついている。この辺の地主こそ全くの幸福児見はるかす河東の野と山。羊腸の小径をうねうねして住友に通った人々は、最も恵まれている。商人、女学生も喜ぼう。

 共栄橋、共存橋、小新高橋、新高橋、それに、新居橋の上の昭和橋、これを名づけて「五橋」とはこれ如何に。

 借家を建てること流行の感あり。新築、改築又大流行。古き酒は新しき革袋にもるべからずによるか。

 龍宮元は太鼓道のあたり、知らぬ間にこざっぱりした借家建並ぶ道は家を呼び。家は道を招く。

 寶湯に倣ひて、より以上の趣向をこらして、東町の旭湯、一万円近き工費にて改造中。

 近藤の畳屋、東町に二階建にて大規模に新築、建つ家皆壮大。

 浜に出る。

 新造三隻、数多き船の間に紅、青、黄の旗幟を立て、潮風にひるがえる。

 船の人、岸の人、声高に談ず。声の勇ましさ、漁師町らし。大江の浦の伝統的精神、どこまでも押し通す力、底力。矢っ張り大新居浜の地下を流れる伸びゆく力は、浜にあると思われる。

 命を的の沖仕事、明日を思わぬ金離れ、この気象が各種各様に各方面にとび出す。

 駄菓子屋が多い上に、大道商人が辻々に蟠居して客を喚んでいる大江座、敷島館の常連多き所。

 西町夜市は好評。アイス専門の開業は流石にアッといわせたらし。

 昼間通っても、商業中心地として各店それぞれ、意匠を凝らしている。

 小女郎飴本舗の、二六翁力作、小女郎狸の焼物は流石によい。

 白石ゴム屋、春日丸、村上指物店の売場の広い所、陳列振りは流石に都会風で新しい。

 児島呉服店はこわされている。これほどの空き地も欲しいが、又大きく建て替えられるだろう。

 銀行、商店の多い西町は、商業地区なら中須賀は娯楽地であり、港街である。カフェー、料理屋が多い。商店もなま
めかしい。この沖は澪筋浚渫中で大略出来たらしい。

 西原の墓地は、見なれた眼にも異様に感じる。とくに、その向かいは村上席の料理屋と来ては、エロとグロの好コントラストだ。しかし、この墓地こそ、新居浜発展の記念碑でよい資料である。眠れる故人の霊も、町発展に驚いて、幽界で、新居浜浦に関する座談会でも開いていよう。

 西原も、商業地として発展しかけている。新築も多い。

 電錬の西北の土地は、新県道に選ばれて跡は海になりつつある。内港を造りつつ、大動脈の道路を造るという、一石二鳥の手法。小型機関車が、トロッコを牽いて走る。トロッコへは浚渫機が土砂を入れる。全く人間の手を煩わさない。機械の世である。

 西原沖は、以前に埋立の許可を得ている。西の方より、石垣を除きつつ埋め立てている。西原は北へ膨張し、新県道、南の方へ伸びてゆく。

 電錬は諸道路の元締めの形で、茲より、女学校への上中竿線、星越線、西條線、垣生線も出ているかに見える。

 昭和橋は、モダーンの典型。満潮、月明の夜は如何ばかり美しかろう。もしも、金子川は浚渫されて、スイスイと、ボートが浮かぶに到っては、町の名所となろう。

 揚地の商店街と、その道路の広いのに驚いたのは、昔の話となつた。少年時代、揚地に遊んだ時、ここも日本かと感じたものだが、今では古臭く感じる。

 住友販売店の進出と、町商店の発展とで、消圧されたのだろう。仰ぎ見る。星越一帯の山々は皆頂上を斬られて、台場となっている。奇妙なスタイルだ。その土は運ばれて、一帯に六間幅の大道となり、星越の社宅地となつている。

 外人の住んでいる、星越の住宅地に行くと、別世界に来た感がある。文化住宅がずらりと並んでいる。選鉱場の設備が立体的で山上に到る諸機械が動いていることが、既に異様であるに、トンネルあり、索道あり、タンクあり、瀟洒な停車場あり、坂道あり、町全景を見渡す眺めあり、山あり、川あり、海あり、平野あり、全くよい住宅地である。又、浴場も立派に設けられている。一度は見物した方がいい。ただ自分の住居はイヤになっても責任は持たない。ここは金子分。

 変圧所は建築中、鋳物工場は建物だけ出来上がり、製材所の入り海には、筏が浮き、浚渫船も入っている。測候所の風信器はクルクル廻っている。

 空中窒素の工場は海中に突き出で恐ろしい音を出している。

 松原の半ばは切られ、中に美しい道路が造られ、地蔵口に延びている。地蔵口より、星越までも六間幅の新道が抜けている。

 住友はんのすることはみな大きい。搾乳場は西谷に移転して牛一匹もいない。一帯の田は埋立てられて工業地となり。柵が廻されている。

 地蔵口以西ははじめて見参するので興趣が湧く。山腹に通じる九尺幅位の道を行く。これが、西條に到る海岸線で二十年来問題の道らしい。

 東谷は、数段に区切られて何かが設けられるらしい。茲は以前、選鉱場の微鉱が捨てられた所。ツツジ花咲く山路を一つ曲がるとすぐ西谷。神社あり、民家七軒ほど道の下にある。旅にある心地す。

 搾乳場は、道の上段一帯に建っている。工費二万八千円、先月二十七日に移転したとのこと。水道が行き渡っていて、ネジ一つひねると清水がゴボゴボと出る。牛舎でも、アスファルトを敷いている。何かの運搬はレールによる。乳牛十頭、鶏百二十、一日の搾乳三斗三升余。

 眺望よき地に社宅があり。組長の柳井知介氏が主任として住んでいる。氏は軍人会の名物男。九年本町に勤続して、岩鍋に足を入れぬとあっては申し訳なしと、又西進を試みる。道の尽きる所は岩鍋。民家が二戸。あまりにも淋しい。谷底であるに驚く。聞けば小学校へ通ってる子供があるとのこと。雨の日、冬の日は苦しいことだろう。

 神は愛なり、返照すとか。この山家にも自然の恵み多しと聞く。とくに眺望の絶佳なる点は健康にも、精神上にも祝福されている。

 西條新居浜線は開通された暁には住宅が多く出来て、今住む人々を煩わしくすることだろう。松茸時分にごんせと聞いて帰る。その帰りの風景の佳さ。名勝歩きにくたびれた筆者も、この美しさに驚く。帰途真鍋写真館によりて、その撮影を依頼した程だった。

 そぞろに想う。次の人々の生活を。浜の人。街の人。星越の人。西谷岩鍋、さては御代島の人。

 そして思う。新居浜も広いなと。


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