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平成19年度 産業遺産説明板 --- 【昭和通り】

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ページID:0005437 更新日:2008年1月31日更新 印刷用ページを表示する
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<説明文>

昭和2年(1927)10月、住友別子鉱山の最高責任者に就任した鷲尾勘解治(わしおかげじ)は、「もう鉱山も長くはない。鉱山がなくなっても生きる町を作らなくてはならない。まず必要なのは交通機関。港と道路が設備されなければならない。これが決まると、鉄道の停車場を設けるのも、工場、事務所、変電所、陸上場、倉庫などの位置を決めるのも計画的に行うことができる。」と都市計画の必要性を説いた。
最初に港から金子村を通って新居浜駅までの道路の敷設を計画したが、土地所有者の反対にあい、現在の昭和橋から新高橋までの道路を建設することにした。 
当時新居浜町(現新居浜市)でも、町の発展のためには道路の整備が急務と考えており、この道路敷設は町の構想とも合致した。道路敷地の買収は新居浜町があたり、道路の建設費用は、全額住友別子鉱山が負担し、一切の工事を無償で請け負った。
道路の幅は、当初八間(14.4m)で計画されていたが、当時としては広すぎるといった意見が多く、六間(10.8m)に狭められた。
昭和通りは、昭和6年6月に完成し、昭和期につくられた県道(西条新居浜線)なので、昭和通りと呼ばれた。今日まで新居浜市の幹線道路として本市の発展に大きく貢献している。

昭和通り

<しょうがくせいよう>

 すみともべっしこうざんのせきにんしゃとなったわしおかげじが、「これからのじだいはどうろやみなとがたいせつである。」とのかんがえで、1931年ねんにつくったどうろ。
 しょうわのじだいにできたのでしょうわどおりとなまえがついた。