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平成19年度 産業遺産説明板 --- 【生子橋】

<説明文>

最初の橋は、山根製錬所の関係で二ヶ所にあった。一つは現在の橋の上流の大師堂の所に鉱石を山根製錬所に搬入するために架けられていた。もう一つは現在の橋の下流 50mの角野小学校の所に別子鉱山鉄道の山根駅と製錬所の連絡のために架けられていた。明治32年(1899)の別子大水害のときに二ヶ所とも流失した。その後、現在の橋の下流100mのところに木橋が架けられていたが、大正14年(1925)に現在の所に木製朱塗りの橋に架け替えられた。
別子銅山の新年行事の大はく祭式に奉納された大はくは、昭和4年(1929)から昭和37年(1962)まで別子鉱山鉄道で端出場駅から山根駅まで輸送され、角野新田の大山積神社まで担いで運ばれた。昭和35年(1960)9月に新田橋が架かるまでは、生子橋を通っていた。昭和58年(1983)に老朽化したので現在の鉄筋コンクリート製の朱塗りの橋に架け替えられた。
 生子橋は景勝地の別子ラインの関門にあたり、春には桜と朱塗りの橋とが映える。かつて河東碧梧堂が、この渓谷の佳景を絶賛して臥竜峡と命名した。前田伍健は「絶景は どこに佇っても 座っても」と句を読んでいる。

生子橋

<しょうがくせいよう>

 このはしは、なんどかかけかえられ、1983ねんに、いまのてっきんコンクリートせいにかけかえられた。
 むかしのはしは、やまねせいれんしょ(いまのえんとつやまにあったこうじょう)におもにこうせきをはこぶときにつかわれていた。


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