市内の名木、珍しい木を検索します
 
名木データベースから【全て】を検索しました 登録件数74中73件
[1]妙見神社椎の木, シイノキ(椎の木), 上部
妙見神社は祭神「菊理姫」の命を祭る。古くからその由来が残されているが真偽の程は定かではない。この神社は山間に鎮座していて、地方の善男・善女の信仰が大変厚く、現在も毎月牛の日には参詣者(さんけいしゃ)が多く見られ賑わっている。  その社の近くに聾える「椎の木」の巨木である。長年の風雨にさらされ、今にも朽ち果て倒れそうになっているのを心ある人々の善意により番線で支えられ、かろうじて姿をとどめている。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[2]王神社の樅, モミノキ(樅の木), 上部
戦時中信仰のメッカとして合祀(ごうし)された王神社の社の裏にひっそりと立つ巨木「樅」の木である。「樅」の木は山中に自生すると言うが、平地近くに見られるのは珍しいとされている。  この木の幼木はクリスマス・ツリーに使われるようである。戦時中信仰のメッカとされていたが、今は訪れる人もなく、静寂そのものの中にひっそりと立つ巨木である。 [ひとこと]  王神社は「あそびじゅくトムソーヤ」で行ったことがある・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[3]正法寺のイチョウ, イチョウ(銀杏), 上部
大生院の歴史を語るには、正法寺の歴史を語らなければならない。その寺の在所には、明治14〜15年頃までには、古い「銀杏」が天にとどろくように聳(そび)えていたという。しかし、暴風雨にさらされたために吹き折れてしまい、その後に芽吹いた木が大きくなり古い昔の姿をやっと偲ぶことが出来るようになったという。  ちなみに現在の地名「銀杏の木」は、その木から名付けたという。 [ひとこと]  田んぼの中に木がある・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[4]石鉄山正法寺の銀杏, イチョウ(銀杏), 上部
大生院、真言宗石鉄山正法寺の境内にそそり立つようにその姿を見せている。樹齢は約88年だが銀杏は成育がよく、すでに高さが約23m、目通り2.5mの大木となっている。  よく見ると、地上約1.5m位のところに7年前に地元の彫刻愛好家の手により、子供さんからお年寄りまで親しみ深いお地蔵さんの彫刻が奉納されている。「生き木地蔵」と呼ばれているものだが、すでにお姿のまわりを銀杏の樹皮が次第につつみこんでおり・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[5]ヤブツバキの群生, ツバキ(椿), 上部
大生院、真言宗石鉄山正法寺境内左側の石段をのぼると、薬師堂がある。そのすぐ裏山に、建物を覆うように約15本が群生している。  その中でもひときわ大きい1本は、樹齢が何百年なのかも不明といわれ、高さが約20m、目通りが約3.5mある。毎年、2月から 3月にかけて一面にたくさんの赤い花を咲かせ、山里の春がちかいことを告げている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[6]上本郷のむくの木, ムク(椋), 上部
その昔、土井構(どいがまえ)であった高橋伊賀守の居城にある。この墓所は、秀吉の四国攻略の兵に倒れて高橋正次とすれば1620年没の墓所である。その後、家臣や子孫の手によって植えられたものであるとすれば、300年以上の歳月が経過している。その昔、目のクリクリした愛らしい「フクロウ」が木肌の洞穴(どうけつ)に巣くっていた。夕刻になると「ホウ、ホウ」といかにも夜のとばりが降りるのを告げるかのような鳴き声が・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[7]かいずか(ヒノキ科), ヒノキ(檜), 上部
元来「かいずか」は大変成長が遅い樹木だとされているが、この「かいずか」は高橋氏の玄関先に植えられていて氏宅のシンボル的な樹木である。  戦後の巨大な台風で度々倒れたが、その度近隣の人達の手により起こされ、現在に至っている。  枝は複雑に絡み合うように成長しているので、その昔は子供達の格好の遊び場であった。  数年前庭師の手により刈り込まれたが、自然のままがよいとされ、現在は枝が伸び放題である。近隣・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[8]大野山の椿, ヤクシマツパキ(屋久島椿), 上部, 市指定天然記念物(一名リンゴツバキ)
このあたりの山野に自生している常緑樹のヤブツバキの種類ですが、とくに果実が普通のものより大きいのが特徴です。鹿児島県の屋久島の山中には、このように果実の大きいツバキが各地に群生しているところからヤクシマツバキの名がついたのでしょう。伝説によると天正の乱(1585)のころ、土佐の長曽我部軍が食べ物や重い荷物を馬の背に積んで運んでいました。ところがよく働いていた馬が病死したため、その馬をこの地に埋めそ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[9]えのきの群生, エノキ(榎・ニレ科), 上部
自然と闘いながら養魚場を開き、新聞紙上に登場したことがある越野氏の所有になる「えの木」の見事な群生である。山間にたたずみ、川の流れを耳にしながら群生を背にすると俗世界の喧噪(けんそう)を忘れさせてくれる。時折国蝶の「大むらさき」が飛来する。 [ひとこと]  お母さんと一緒に来たことがあったけど、おじさんに問いて始めて知った。  大生院小5年 吉田活貴・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[10]大三輪神社の樫, カシ(樫), 上部
大野山、中の成に祭られる神社であるから「大三輪神社」であろうか。そうであれば、祭神は大己貴命であろう。その昔は、村社であったという。その境内に長年の風雪に耐えて佇む姿はその名が示すように「樫」そのものである。 [ひとこと]  すごい木です、木の幹を見るとごつごつしていた。幹を見ているとおじいさんの手を思い出しました。  大生院小5年 玉井博巳・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[11]えの木, エノキ(榎・ニレ科), 上部
昭和43年に廃校となった大生院小学校、中の成分校の近くにひっそりとたたずむ「えの木」の巨木である。明治25年に開校し、多い時には60余名いた児童の学舎(がくしゃ)の近くで、育つ姿を見守ってきた。  近年に至って過疎が急激におとずれ、今は人の気配もなく、静寂の中で孤独と闘うように立つその姿には、昔日(せきじつ)の感を抱かせるものである。 [ひとこと]  こんな山奥に人が住んでいて学校があったなんて全・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[12]中萩小学校のクス, クスノキ(楠), 上部
小学校の正門付近にしげる3本の楠の木は、いずれも明治33年(1900)年に植樹されたもので、中萩小学校の歴史を象徴する大樹となっている。  日本南画家の巨匠、本校出身の河野秋邨が四年生の時この植樹をしたと言われ、植樹当時すでに大人の身長を超える木であったとのことである。  落ち葉の季節になると、毎朝児童が校門を丁寧にはいている姿をよく見かける。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[13]広瀬公園のカリン, カリン(花梨), 上部
このような大きな、カリン(花梨)の木は日本国内では珍しい。  明治22年庭園を造った際、植えられたもと言われている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[14]広瀬公園の楠, クスノキ(楠), 上部
明治10年代、金子村久保田の広瀬旧邸より移植したもので、樹高30m、三幹に分かれた見事な大木である。  移植時は小ぶりであったが、それでも狭い悪路を牛5頭をつかい、苦労して運搬したそうである。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[15]広瀬公園の高野槇, 高野槇(スキ科), 上部
日本特産種で、高さ30m〜40mになる、常緑針葉高木。  寺院の境内によく植えられる、樹冠は狭い円錐形となる。葉は厚く、2個の葉が合着して長さ6〜13cmの線形となり、短枝に輪生(りんせい)してつく、花は4月ごろに開く。  球果(たまか)は長さ6〜9cmの楕円状円柱形、しばしば球果の先に葉が出る。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[16]瑞応寺の大銀杏樹, オオイチョウジュ(大銀杏樹), 上部, 県指定天然記念物
瑞応寺は文安5年、生子山城主松木越前守景村公の建立によるものであるが、天正13年の役に生子山城、落城の兵火にかかり戦後再建されたが、また文政11年焼失(しようしつ)の厄(やく)にあっている。明治30年曹洞宗(そうとうしゅう)専門僧堂開設、禅門修行の名刹(めいさつ)として世に知られるに至った。  この老銀杏樹は鎮守金比羅大権現の奉祝にまつわる乳銀杏、で樹令800年と推定され、目通り8.5m、高さ27・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[17]忠魂碑の椎, シイノキ(椎の木), 上部
市内山根町、瑞応寺の山道入口すぐ手前に角野町戦没者の忠魂碑が建立されている。その敷地内の木立のなかに、ひときわ目をひく大きな稚(シイ)の木がある。  樹令は不明だが高さ約20m、目通りが約 4.2mあり、年月を経た幹には、根元よりうねりながらのびたコブがいくつも重なって力強さがあり、うっそうと繁った枝葉は時折陽ぎしを受け入れながら上空をおおい、まるで風雨から忠魂碑を守るかのように静かななかにも威厳・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[18]銀杏の巨木, イチョウ(銀杏), 上部
生子山城主の奥方が、千手観世音菩薩をお祀りしていた。  天正の乱で、生子山城落城後、土地の庄屋川端氏から鈴木家で受け継いだ。  現在は、瑞応寺が守っている。  近所の住宅への配慮から、数年に一度は銀杏の剪定をしている。          瑞応寺 堂監老師・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[19]山根グランドの楠, クスノキ(楠), 上部
煙突山が見える角野、歴史と文化をもつ角野、特に別子銅山は角野を寒村から変遷し、一大発展を遂げさせた巨大なエネルギーの放出がありました。  さて、山根グランドは昭和3年に住友各企業社員の作務で完成しました、そして住友予州親友会の運動会などが行われました。  現在は多目的グランドとして野球、ソフトボールやサッカーそして各種イベントなどに利用されています。  それらの姿をいつもあたたかく見守っています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[20]船木のウコン桜, サクラ(桜), 上部
花は黄色い化粧  このサクラ、荒井さんが植物学者に尋ねたところ、オオシマザクラ系のウコンザクラ(鬱金桜)という品種だそうだ。20年ほど前に友人から苗木をもらい、6、7年目に黄色い花を着けてびっくりしたという。  ソメイヨシノより10日ほど遅く咲き、日がたつと花の中心がピンクがかかってくる。高さ約5メートルに成長して年々花数も増え、それに伴って見に訪れる人も増えている        平成13年4月1・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[21]船木の榎, エノキ(榎・ニレ科), 上部, 市指定天然記念物
推定樹齢280年(江戸時代中期、享保年間)  『市天然記念物指定』昭和50年7月8日。約280年前、悪病流行し当宇野家でも次々と病死者続出したので、宇野家初代大久保三郎こと宇野甚左ヱ門が、数日間連続で諸病削除の祈祷をなし、邸内北西隅にエノキを植え、悪疫の進入を防いだと伝えられている。          所有者 宇野八郎・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[22]東台神社の楠, クスノキ(楠), 上部
クスノキは暖地に自生し、古くから神社などに多く植えられている。 常緑高木で、大きいものは高さ55mにもなる。葉は有柄で互生し、長さ5〜12cmの楕円形、形、葉を切ると樟脳の香りがする。5〜6月、円錐花序(かじょ)に黄白色の小花を付ける、果実は経8〜9mmの球形で黒熟す。  《分布》関東以西、四国、九州  東台神社のクスノキは、伝承樹齢500年以上。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[23]星原の松, マツ(松), 上部
伝承では樹齢250年とされ、見事な枝振りの松である。  別名(オマツ)は海岸沿いを中心に自生する常緑針葉高木。高さ30〜40mになる、公園・庭園にもよく植えられる。  樹皮は灰黒色、葉は2個ずつ束生し、長さ5〜16cmの針状、4〜5月開花。雄花は枝の下部につき、雌花は先端につく、球果は長さ5〜7cmの卵状円錐形。 《分布》本州、四国、九州、沖縄・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[24]大島のヨシノ桜, ヨシノ桜(バラ科), 上部
泉川保育園庭の中央に立つサクラは、天保4年(1833年)籠池(現在の松原団地付近)に植えられた77本の内の1本で、戦中に現在の場所に移された。  早春に見事な花を咲かせ、園児のすこやかな生長を見守っている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[25]大島の五葉松, ゴヨウマツ(五葉松), 川東
日本の松は大きく分けて6種類あって、その中で五葉松はヒメコマツとキタゴヨウマツの2種類に分けられます。  樹皮は暗灰色で棄はやや短く丸みを帯び、白みがかっています。  五葉松は標高100mから2000mの高地に樹生し、寒さに強い木です。  五葉松は庭木よりも、細工のしやすい特性を生かし観賞用の盆栽として真価を発揮しています。写真の五葉松のように平地で高木になったのは珍しいと思います。       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[26]大島のチシャノキ, チシャノキ, 川東, ムラサキ科の落葉高木
大島の庄屋屋敷にあるチシャの木は古木で、毎年キツツキが子育てをするほど静かな場所にあり、童唄(わらべうた)として地元の女の子が遊んだ手鞠唄(てまりうた)の『うーちの裏のチシャの木に、スズメが三羽と−まって、一羽のスズメのいうことにゃー……』の元唄として知られています。  なおエゴノキ科のエゴノキもチシャノキと言い、芝居の(先代萩)に出てくるチシャノキは、エゴノキのことです。            ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[27]大島のモツコク, モツコク(厚皮膏), 川東, ツバキ科の常緑高木
庄屋屋敷裏庭にあるモッコクは、青石を抱いて生えているせいか樹齢は250年余経っているのに高さはあまりない、しかし株の大きさは見事である。  モッコクは暖地で海に近い地方に生え、本州から四国・九州・沖縄・台湾・朝鮮南部・中国・東南アジアからインド等に広く分布する。  庭木としては病虫害も少なく育てやすいのが特徴。「木斛の花」は夏の季節。  池ありて木斛の香のながれけり                ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[28]大島のサザンカ, サザンカ(山茶花・ツバキ科), 川東
山茶花はツバキ科の小高木で、日本では 90種ほどが確認されており、江戸時代の初期から栽培され、庭木としては八重咲きで芳香のある東雲、花の色は白い富士の峰、薄桃色で大輪の七福神、紅色で獅子咲きの昭和の栄などが著名です。  季語は冬、童謡や唱歌にも登場し、誰もが一度は口ずさんだ覚えがあると思います。              庄屋屋敷  山茶花や 時雨の亭の片びさし                言水・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[29]八幡神社のパクチノキの群生, パクチノキ, 川東, (市指定天然記念物)
バクチノキ(博打の木)は、サクラやウメ等と同じなかまの、バラ科の常緑の樹木です。新居浜市近辺のはやしには、まれにしかはえていませんが大島八幡神社のように、大きなバクチノキがあつまって自生していることはとても珍しいことです。  この木は、樹の皮が剥げ落ちる性質がありその皮が剥げ落ちた肌が赤黄色にみえます。  バクチノキのバクチは、昔、博打に負けて着物を剥ぎ取られて裸になったようすになぞらえて、つけれ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[30]明正寺桜, サクラ(桜), 川東, (市指定天然記念物)
昭和四十年に植物学者の八木繁一先生が、僕のお寺の山際で見つけた新種の桜です。  桜の種類は3百種以上あるそうですが、明正寺桜はまったく新しい種類です。それで文化財に指定されています。  特徴は、三月の中ごろ花が咲き、香りが強く元気な桜です。花の時は松山市からも見物に来ます。 [ひとこと]  花が咲いた時はきれいですが、葉が散ったあと掃除をさせられるのが僕は少し嫌いです。  多喜浜小学校5年生 川崎・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[31]阿島のくろがねもち, くろがねもち(黒金糯), 川東
暖地の山地に分布する常緑高木で、高さ10mぐらいになる。  庭園などにもよく植えられている、葉は有柄で互生し葉柄は長い葉身は広楕円形で長さ5〜8cm、乾くと黒っぽい色になる。  雄雌異株、5月頃新枝に花序を出し、径4mm程の淡紫白色の花をつける。果実は小さく3〜5mm、赤く熟す。  所有者 伊藤俊一・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[32]一対のツガ, ツガ(栂), 川東
江戸時代中期まで荷内の人り口の山に祀られていて、その下の海岸に船を留め海上安全を願っていたと伝えられている。  江戸時代中期に荷内の、現在地に鎮座なされたときから栂(つが)の木は育っている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[33]荷内神社の椋, ムク(椋), 川東
江戸時代中期まで荷内の入り口の山に祀られていて、その下の海岸に船を留め海上安全を願っていたと伝えられている。  江戸時代中期に荷内の、現在地に鎮座なされたときから椋の木は育っている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[34]東楠崎岡城舘のサルスベリ, サルスベリ(ミソハギ科), 川東, 百日紅(別名ヒャクジツコウ)]
中国原産の落葉小高木。  幹がなめらかでつるつるしており、猿も滑り落ちるだろうと名付けられた。  漢字の百日紅は、花期が長くつぎつぎ咲くため、100日咲き続けているのでは、と云うことから名付けられた。  通りからは、夏の暑い盛りに、枝を広げて華やかに咲き続けている姿が見え、長い間皆の目を楽しませている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[35]東楠崎岡城館のサザンカ, サザンカ(山茶花・ツバキ科), 川東
山茶花の園芸化は江戸時代から始まっており、1793年出版の「本草花蒔絵」に約100種の記載が有る。  丸く刈り込んで、簪(かんぎし)のように一重のピンクの花を咲かせていたが、近年は老木となり手前が枯れて幹が見えるようになった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[36]西条柿(本西条), 柿, 川東
樹齢は定かではないが、およそ100年以上は経っており、今もなお成長を続け、秋には真っ赤で甘い見事な実を付けている。  しかし余りにも大木の為、人間様より先に鳥達の格好の餌となっている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[37]白浜のやまもも, やまもも(山桃), 川東
白浜、岡本・本家の南東の山中に多喜浜塩田の開発基地として松材などが積まれていたところで、木の元には山神さんが祀られており、山に登る人達が安全を願って山に登っていった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[38]塩田の蘇鉄, ソテツ(蘇鉄), 川東, 県指定天然記念物
享保年間(1730年ころ)  多喜浜塩田の改祖天野喜四郎元明氏がここを本拠にして塩田開発を進めた。  その時記念に植えた雌(めす)株のソテツが成長し大きくなった。  多喜浜塩田発祥の地を後世に伝える、生きた記念物として貴重な存在です。  ソテツは九州の南の亜熱帯の海岸の断崖やその近辺に生える常緑の低木で他の樹木のよおに年輪がありません。  濱屋しき西日に映ゆる大蘇鉄             酒井黙・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[39]城ケ峰のヤシャプシ, ヤシャプシヤシャプシ(かばのき科), 川東
ヤシャブシは痩せ地でもよく育つので、昭和初期(約70年前)、崩落防止や薪用として桓生山の急斜面や松も育たない痩せ地に植えられた。  俗名はげしばり、やましばりとも言われたが今は数本しか残っていない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[40]平成広場の桜, ヤマザクラ(ばら科), 川東
松食い虫による被害(昭和40年代)によって松が無くなると、雑木とともに山桜も多くなり、春には目を楽しませてくれる。垣生山にも多くの山桜が自生しているが、その中で一番人きいと思われるのがこの山桜である。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[41]ムクノキ(にれ科), ムク(椋), 川東, 市指定天然記念物
昔から乙女山(おめんとさん)の大椋(おおむく)と親しまれてきた。古木だけに、神功皇后が三韓征伐の際垣生に立ち寄られ、この椋に船をつないだなど伝説の多い巨木である。  ムクノキは、にれ科の落葉の高木、本州・四国・九州から熱帯まで広く分布しています。晩秋の頃黒く熟した甘い外果皮は食べられます。そしてムクノキの材は、強靭なため天秤棒によく用いられていました。このようなムクノキの大木は、県内でも珍しく人間・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[42]垣生の榎, エノキ(榎・ニレ科), 川東
近所迷惑になるので今は枝を切り詰めているが、以前は枝張りも大きくうっそうと繁っていた。  日暮れになると子供等に「暗くなるまで遊んでいるとエノキの下に小豆洗い(あずきあらい)が出るぞ」と言われると慌てて帰った。  「小豆洗いとは」小豆を洗う音とともに現れる妖怪(ようかい)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[43]塩田の松, マツ(松), 川東
多喜浜塩田は、江戸時代の慶長13年(1608)の開拓以来、国の政策により昭和34年(1959)に廃止されるまで、350年の永きにわたり、わが国有数の塩田として延々と営まれてきました。  明治26年(1893)に、それまで経営に当たってきた「多喜浜盛塩館」が解散し、新しく「東浜産塩株式会社」が設立されましたが、その設立時に植えられた記念の松が碑と共に、市内楠崎在住の元新居浜商工会議所会頭藤田秀朋氏宅・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[44]寂光庵大師堂の銀杏, イチョウ(銀杏), 川東
田の上にある「寂光庵大師堂」  新四国88ケ所第77番札所には、樹齢300年とも言われる(いちょう)の木があり、老木になると出すという大きな気根(俗にいう乳)が垂れ下がっています。  この「寂光庵大師堂」は、慶長年間(1600年頃)に今治藩家中の近藤助左衛門という人が、この地に来住し建立したと言われています。銀杏はその時に植えられたと言い伝えられています。  またこの大師堂は、四国遍路発展の基礎づ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[45]新屋敷の楠, クスノキ(楠), 川東
田の上部落の、通称「新屋敷」と呼ばれるところに大きなくすの木がありますが、昔からの言い伝えによりますと、その昔そこに乙女狸と呼ばれた狸が棲んでいて、その狸はべっぴん(美人)さんに化けるのがたいそうな評判であったということであります。  そして、そのべっぴんさんの狸にいたずらされた話が昔話として残っています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[46]若宮神社のふじ, ふじ, 川東
散田の若宮神社の「ふじ」は高さ20メートルの椋の木に巻き付いて、自然に近い状態で生育し、その根周りは3.5メートル、目通り1.4メートルもあり、春になると美しい花房を垂れます。  また、この「若宮神社」は地域の人達から若宮さんと呼ばれ親しまれており、霊験あらたかだとの事で、天正の陣(1585)で毛利軍に討たれた7人の侍を葬った霊が祀られています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[47]共生の樹, 松・榎・楠, 川東, 八旛神社
松・榎(えのき)・楠(3叉共生〉  松・櫻(えのき)楠の3つの樹が根元で共生し、上の幹のところどころで何箇所もお互いに支えあいながら共に育っている。同じ科・属でもないのに、自然に共生できるのが不思議です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[48]八旛神社の楠木, クスノキ(楠), 川東
八旛神社境内には実生の楠の大木がある。最大のものは幹周りが4mぐらいで枝振りも30mほどで生育旺盛である。  楠木の寿命は松よりも長いので境内にも多く自生している。  境内の松も松食い虫のため毎年20本位枯れて取り除いている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[49]宝物殿の松, マツ(松), 川東, 八旛神社宝物殿の松
松の群生の多くは空にむかって真っ直ぐにのびている。  この松は、海辺で荒い潮風にふきつけられたように、ねじれて横に這った姿で宝物殿を守るが如く成長している。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[50]松の群生, マツ(松), 川東, 八旛神杜松主体の鎮守の森
私達は現在忘れかけていますが、もう一度ふるさと、私達の心、文化、遺伝子、資源などの一番もとになる「原点」を見直さなければなりません。  (鎮守の森)の今日的な意味を見直していただきたい。  私達の先祖は、長時間の試行錯誤の結果や、宗教的意識もあって弱い自然を残して「ふるさとの木」による「ふるさとの森」を創ってきたわけです。  森の中はきれいな精気が漂って、人に「生命」や「こころ」を与え自然を和らげ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[51]堤防の松, マツ(松), 川東, 竜神杜(宮島さん)の松
西条藩内各村の郷土誌である「西条誌巻(さいじょうしかん)之15」に澤津村の項のなかに竜神社の事が書かれている。〈天保13年発刊〉勧請(かんじょう)年月日についてはふめいである。  当時松の木が、数本植えられていたようである。度々の堤防決壊に枯死したようである。  明治27年堤防大改修の際に、現在の松は二代目の松として植えられた内の一本であろうと言うことである。現在の堤防は昭和59年から5ヵ年の歳月・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[52]高津保育園の櫨, ナンキンハゼ(南京黄櫨), 川東, 高津保育園の南京櫨(なんきんはぜ)
高津保育園園庭プールの側にある南京櫨(なんきんはぜ)は、7月頃には黄色花が、長さ10cm程の細長い穂になって垂れ下がりきれいです。  しかし、今年(2002年)は花の咲く表年で、花が多い分蜂も多く、剪定をしました。  葉の形が面白く、秋になると黄色や赤紫と紅葉し、黒い実と共に子供たちのままごと遊びの材料になります。  灯台草科・しらぎ属に入る落葉高木で、櫨(はぜ)のような漆科ではないので、「はぜま・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[53]高津保育園の桜, サクラ(桜), 川東
高津保育園には、桜木が5本ありますが、中でも園舎南側の桜の木は枝張り周りの直径が12m余りと大きなものです。  春には、見事な花を咲かせ、夏には、涼しい木陰をつくり蝉捕りを楽しませ、冬には、様々な色の落葉を降らせる等、一年を通して、園児たちの良い遊び場となっています。  昭和50年に改築された園舎ですが、それ以前からずっとそこにあり、子供たちの成長を見守り続けています。             平・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[54]高津小学校の桑, ヤマクワ(クワ科), 川東
「歴史は古き桑の木」 小学校体育館の南にあり、歴史をものがたる桑の木である。  桑の木は大きくなるためには、多くの年月を経たないとこれだけの大樹とはなれない。  葉は「かいこ」のえさとなり、まゆをつむいで生糸となり、あのはだざわりのいい絹織物となるのである。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[55]瀛津神社の榎, エノキ(榎・ニレ科), 川東
瀛津(おきつ)神社。「沢津神社」 昔、沢津の小野元治居館から少し離れた小高い所に大エノキがあった。天正19年(1591)7月18日夜。雨風もないのに大エノキが倒れた。その倒れた地響きがあまり大きかったので何事かと老人も子供も走り出てみて唖然とし、恐れおののいた。ところが、夜明け頃倒れていた大エノキが元のように立ち上がった。  そこで村人があつまって1度倒れた大エノキの下に祠(ほこら)を作ってお祭り・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[56]瀛津神社の椋, ムク(椋), 川東
大エノキで有名な瀛津(おきつ)神社の境内に、大きなムクノキが3〜4本ある。(別名ムクエノキ)  山野に自生し、また人家の防風樹として植栽される落葉高木。  幹は直立し、高さ15〜30mになる。葉は互生し長さ、4〜10cmの狭卵形で縁には鋭い鋸歯(きょし)がある。質はやや薄く、表面はざらつく。5月頃葉が開くと同時に淡緑色の小さな花をつける、果実は軽7〜12mmの球形で黒熟する。 <分布>本州、四国、・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[57]松並木(円福寺), マツ(松), 川西
円福寺は、天正13年まで宇高の東北の地、寺田にあったが、天正13年(1585)小早川隆景の軍により焼滅。  慶長3年(1598)岡田道雅発願、栄弁開山、現在地の新須賀に移転する。  元治元年(1864)火災で堂宇が炎上し、慶応元年(1865)に本堂を再建する。  この松並木の参道は、以前は国領川の近くまであったが、宅地化、道路の開通などにより今は仁王門までとなっている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[58]新居浜小学校のポプラ, ポプラ(やなぎ科), 川西
明治7年創立の新居浜小学校(今の新居浜ドーム一帯)が、昭和30年に現在の場所(新須賀)に移転した際一緒にポプラも移植した。  平成5年に学校創立120周年を迎えた今も、校庭の北西の位置に3本のポプラが聳え立っている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[59]武徳殿のヒマラヤシーダー, ヒマラヤシーダー(松科), 川西
武徳殿は、武道を通して心身の鍛練を図ると共に各大会を通じて親睦を図ることをねらいとして、昭和13年11月に落成されました。  その記念として、当時の白石誉二郎市長の友人であった塩出氏によって植樹され現在に至っています。 [ひとこと]  「まっすぐで、おそらにむかってるね−。」  飯尾俊亮(4才)徳常町7−4・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[60]一宮神社の楠, クスノキ(楠), 川西
昭和26年、国の天然記念物に指定された、一宮神社樟樹群の中で最も大きな「一番樟」は天正13年(西暦1585年)豊臣秀吉の四国征伐(大正の陣)で戦火に遇ったが焼け残った株から芽を出したものが、現在の大木になったといわれている。  大きな樟(くすのき)で目通り9.4m、根回り14.9m、高さ29mもあり、1000年の歴史の面影をしのばせている。  また、この樟には小女郎狸が棲んでいたとの伝説でも有名で・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[61]西校のセンタン, センタン(栴檀), 川西
昭和24年、高校再編成により西高校として発足しました。  栴檀は、その当時に植えられたと言われています。  「栴檀は二葉よりもかんばし。」と言われている様に大きくなってから立派になる人は小さい時からすぐれた所がある。  あなた達も頑張りなさいと声かけをしている様です。現在は、同窓会舘の裏で目立ちませんが、それにも負けず立派に成長しています。 [ひとこと]  「おおきくて きれいねー」  田中遥(4・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[62]西校のソテツ, ソテツ(蘇鉄), 川西
新居浜西高校の玄関抑こ堂々とした姿を構えている蘇鉄は、樹齢100年と言われています。  大正15年女学校時代に村尾元良氏より寄贈され植えられました。  それ以後生徒達を見守りまた、生徒達も蘇鉄を眺めることにより心が安らいだことでしょう。 [ひとこと]  「大きくてきれいで、たくましい姿。いろいろな人の思いがこめられているのだろうと思います。」  宮西小学校3年生 星加美都・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[63]口屋あかがねの松, マツ(松), 川西
300年にわたり地域の人々に愛され、地域のシンボルとして輝き、今なお青々と繁る口屋あかがねの松。  口屋は、元禄15年(1702)に浜宿として設けられ、新居浜市の文化・商業の中心として発展してきました。明治28年以降は、小学校、町役場、市役所、図書館と姿を変え、現在は公民館となっています。 [ひとこと]  「ぼく達が生まれるずっと前から生きている松、300才になっても、まだまだ元気でぼく達を見守っ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[64]西原町の樅, モミノキ(樅の木), 川西
我が家の庭で、一番古い木、庭の隅に突っ立っている。私達の知らない日清・日露戦争に出征した兵士も見送った。  今はなき明治15年生まれの父の誕生も知っている。明治、大正、昭和、平成と喜びも悲しみもずっと見ている。  決して美しい樹形でも名木でもないが、この木を見上げているとこの時代を精一杯かけ抜けた人々を懐かしく思い出す。  これからもずっと見守って欲しい。             黒川美智子・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[65]楠(森の木神社), クスノキ(楠), 川西
1221年(承久の変)のとき、貴族が新居浜の庄内地方にうつされ、この地方の女件と結婚し励まし合いながら土地の開発に努めました。  そして婦人の安産を祈願されてお祀りし森の木神社を建立(こんりゅう)した。  森の木神社のクスノキは、高く聳えて遠くからでも神社の場所がわかります。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[66]柳の木, ヤナギ(柳), 川西
(夜灯さん)は人々の道中の安全を祈るため「要塞の神様」として、村の出入り口に祀られたものです。  その元に植えられた例の古木の伝承樹齢は120年以上ときいております。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[67]群生樹, , 川西, 宗像神社の参道(長馬場)
長い長い参道には、昔はもっともっと長く国領川まで続き650mもあったといいます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[68]クスノキグン(樟群), クスノキ(楠), 川西, 国指定天然記念物
勇壮絢爛で有名な太鼓まつりの舞台となっている一営神社の参道や社殿の周囲には約90本の巨大なクスノキがある、一宮神社は奈良時代初期の和銅2年(西暦709年)に建立されたと言われていますから、千年前後の年輪を刻んでいるものと考えられます。  昭和23年天然記念物として県の指定を受けましたが、昭和26年6月、植樹された楠群では古いものであるとして、国の指定を受けています。  なお、境内には「坊ちゃん」で・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[69]オオクスノキ, クスノキ(楠), 川西
運動場にそびえ立つ大楠木は、遊び時間になると子どもたちが好んでその下で鬼ごっこなどであそびます。その光景をみると、まるで大楠木が子どもたちを温かく見守ってくれているようです。  同じ運動場に立つメタセコイアが父親なら、大楠木は母親のようです。運動場でのけがが少ないのは、見守ってくれる母なる大楠木のお陰なのかもしれません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[70]金栄小のメタセコイア, メタセコイア, 川西
金栄小学校と共に成長してきたメタセコイアは、学校だけのシンボルというより新居浜市のシンボルともいえます。  12月になると地域の皆さんの協力のもと、PTAの皆さんがメタセコイアの木に6000個の電球を飾ります。  鮮やかに電飾されたメタセコイアは1月の初旬まで校区だけでなく、たくさんの市民を楽しませています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[71]大榎と屋敷神(古木), エノキ(榎・ニレ科), 川西, (榎の古木)
新田町1丁目21−12、池田哲也氏宅横の大榎のもとに、屋敷神がある。昔はお盆のお塚さんのお祭りには、市がたち、花火等大変賑わった。  樹勢すこぶる旺盛、現在近所の人々がお祀りをしています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[72]図書館のくろがねもち, くろがねもち(黒金糯), 川西
市立図書館裏庭に、樹形(じゅけい)の見事なクロガネモチの木がある。図書館に訪れる人々の心の癒しとなっている。 〈分布〉本州、四同、九州、沖縄  暖地の山地に分布する常緑高木で、高さ10mぐらいになる。庭園などによく植えられている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[73]西中のヒマラヤスキ, ヒマラヤスキ(まつ科), 川西
「ヒマラヤ杉の梢よりそびえて高きわが母校……」と校歌に歌われているヒマラヤ杉。  かつては、西中メインストリートの両側に校舎よりも高くそびえ立ち、生徒たちを見守り続けてきた。  昭和22年の開校以来、西中学校のシンボル的存在として、卒業していった生徒にとって、なつかしい木である。               村尾和子・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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